特集記事

第6回 2002年6月


最愛なる家族

第9代OB 西島 久雄

空白

師走も押し迫った 2001年12月29日(土)午後4時 我が愛車BMW525iは家内と長男、次男そして 愛犬みみ(ミニチュアダックスフント)を乗せて博多の街を北へ向かって出発した。

私が大学四年生の時18歳の郡山女子大音楽科の女性と恋に落ち、私が24歳そして彼女が19歳のとき 婚約し私が25歳、彼女が20歳の時に所帯を持ちました。
そして、銀婚式も3年前に通過したある日、家内の実家がある、福島県いわき市小名浜へ車で行ってみようとふと 思いついてしまった。 わたしの悪い癖で思い立ったらすぐに実行に移してしまうのである。勿論、家内の反対が 有ろうはずがない。只、どう考えても本当にべらぼうに遠い。
そこで運転手を連れて行くことにした、長男と次男である。家内は、自動車学校に行く時間もなく結婚してしまったので 運転免許証がありません。もう一人三男は、この年留学先のイギリスから帰ってきませんでした。

みみのウンコとオシッコを気にしながら、九州道・山陽道・名神・東名・首都高・常磐道を走り  2001年12月30日(日)午前11時無事に小名浜に着きました。イゃー疲れたのなんのって・・・・・・ しかし、疲れも見せずに次の日の12月31日、雪の残っている常磐道を一路郡山に向かいました。

 学生の頃、大変お世話になった方々にお会いし、昔話についつい遅くなってしまいました。
私は、家内の実家に行ったときは、必ず郡山まで足を伸ばしています。
私たち学生の頃とは、大違いの郡山ですが、私たち夫婦にとってはかけがえのない大切な街だと思っています。
 久々の福島のお正月、二日の日は甥が常磐興産に行っていますので、ナントカカントカ言う横文字のゴルフ場 に行って2002年の初打ちをしました。はっきり言ってゴルフは下手です。
趣味はと聞かれたら「上手なカラオケ、下手なゴルフ」と言っています。

追い討ちをかけるように、五十肩になってしまいました。家内は六十歳になったら治るよと言ってますが・・・・
 さて、話を戻します。2002年1月4日(金)午前九時小名浜を出発しました。
常磐道・首都高・東名・名神・山陽道・九州道と元気に運転し五日(土)午前8時30分自宅に帰り着きました。
 走った走行距離なんと 3,120.50km 
福岡と福島の距離、遠さを十分認識した旅でしたが家族の絆が、又一つ強くなったような気がしたドライブでした。
  さて、福島在住の皆さん、家族皆で大笑いした道路標語を紹介します。
常磐湯元から郡山へ向かって常磐道を走って行きますと、次のインターを過ぎて少しだったと思います。
高速道上部の橋梁に次のように書いてありました。
 「ここは 70 だっぺ」
いやー ふくすまを感じさせるいい標語だっぺ。       失礼しました!

博多弁が標準語と言い続けて、それを実行している 西島久雄53歳
いまだに、時々恥じらいを見せる福島美人  美左江48歳
JR九州の社長になるとぬかした長男  義久26歳
おじいちゃん、おばあちゃんに人気の医事課の次男  靖久24歳
カンタベリーで 英語ぺらぺらの三男  顕久19歳
本当に胴長、短足の美人  みみ3歳
以上 家族紹介でした。


空白

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